医療過誤事件の流れ
1 医療過誤訴訟の法律構成
医療ミスが原因で自死が発生したと考えられる場合には、病院に対する損害賠償を請求することが考えられます。
損害賠償の法律構成として、債務不履行構成(民法415条)、不法行為構成(民法715条)の二つが考えられる点は、労災認定後に企業に対する損害賠償を求める事案と同様です。
2 自殺防止義務の主張・立証のポイント
病院や担当医師は、診療契約に基づき、自死を防止する義務を負っています。
他方で、治療方針の是非などが争点となる事案では、病院側から、医師の裁量を尊重すべきといった主張がなされることが多々あります。裁判例をみても、医師の裁量にある程度配慮すべきとしているものが複数存在します(東京地判1987年11月30日判決・判例時報1267号82頁、東京地裁90 年2月27日判決・判例時報1369号120頁など)。
そのため、病院や担当医の自死防止義務違反の主張・立証について、遺族側は慎重に準備・検討を行う必要があります。
ポイントは
①いかなる事実をもって過失・安全配慮義務違反と評価すべきか
②当該事件において医師の裁量はどの程度考慮されるべきか
といった点です。
医師の裁量が認められる根拠
精神医療の目的は、患者の病的障害や不安定性を種々の療法によって取り除き、かつ、可能な限り患者の自由や人権を尊重することで患者の社会復帰を目指すことにあるとされています。例えば、患者の自由を尊重して所持品制限を緩和すれば、自死のリスクが増大するといったケースも一定程度存在するため、患者の治療と人権尊重の要請が衝突することが考えられます。
そこで、過失や安全配慮義務違反を判断するに当たっても、患者の自死の防止と人権保障のいずれを重視すべきか、当該患者の状態を考慮しつつ慎重に判断する必要があります(福田他「最新裁判実務体系・第2巻・医療訴訟」552頁)。 とはいえ、医師の裁量が認められる根拠は、医師が患者の治療と人権尊重の要請を調整する役割を求められる点にあるのですから、例えばケアレスミスについてまで裁量を理由に医師や病院の責任を否定することは許されません。
3 予見可能性と結果回避義務違反
病院側の自死防止義務違反の有無は「予見可能性」(事故を予見できたこと)を前提とした「結果回避義務違反」(事故を回避するための努力を尽くしていないこと)という、二つの視点から判断がなされます。
予見可能性としては、患者の事故前の症状(希死念慮の有無・程度、自殺企図の有無・程度など)が検討されます。
結果回避義務違反としては、自死の予見可能性の有無・程度に応じて、具体的にいかなる対処をすることが必要かつ可能と考えられるのかを、医療施設の水準や開放処遇・閉鎖処遇等の選択等による医師の裁量に照らして検討することとされています(福田他「最新裁判実務体系・第2巻・医療訴訟」553頁)。
病院側の責任を肯定した裁判例
病院側の責任を肯定した裁判例としては、保護室隔離中に病院職員が保護室内に放置されたタオルを発見できなかった点について病院側の自殺防止義務違反を認めた例(福岡地裁80年11月25日判決・判例タイムズ433号52頁)、閉鎖病棟において、病院側資料によると自殺企図者欄、要注意者欄に記載されていたにもかかわらず、夜間の巡回を1回も行わなかった点について病院側の自殺防止義務違反を認めた例(福岡地裁小倉支部99年11月2日判決・判例タイムズ1069号232頁)などがあります。
裁判例の傾向として、自傷行為の危険があるとして閉鎖病棟での治療が選択された患者については、自死についての予見可能性が認められる場合も多く、医療機関において要求される結果回避措置の程度も高くなるとされています。
したがって、自殺企図が医療記録上明らかであることや、隔離や身体拘束中に事故が発生した事実がある場合は、予見可能性や結果回避義務違反を肯定する根拠として、その旨を主張・立証する必要があります。
また、前掲の保護室内にタオルが放置されていた事案(福岡地裁1980年11月25日判決)のように、医療機関の単純ミスによって事故が発生した場合には、病院側が医師の裁量を主張してきたとしても、単純ミスについてまで医師の裁量を尊重する理由はない旨、反論が可能でしょう。
病院側の責任を否定した裁判例
病院側の責任を否定した裁判例としては、開放病棟に自由入院中に無断離院し病院施設外で死亡した事案で病院側の自殺防止義務を否定した例(名古屋地裁83年12月16日判決・判例タイムズ526号237頁)、閉鎖病棟に入院中の患者に対する外出許可について医師の裁量を根拠に自殺防止義務違反を否定した例(東京地裁判決87年11月30日判決・判例時報1267号82頁)、閉鎖病棟でベルトを用いた自死について、他人の所持品を利用する可能性を考慮すれば、所持品制限には効果に限界があることを理由に病院側の自殺防止義務を否定した例(東京地裁2006年12月21日判決・判例集未登載)などがあります。
医療機関の責任を否定する裁判例の多くが、患者が自死する具体的な危険性が無かったとして、予見可能性を否定しています。希死念慮をうかがわせる発言があったとしても、その後不穏な行動に出る様子もなかったようなケースでは、具体的ないし切迫した自死のおそれまでは認められないとして予見可能性が否定される可能性があります。